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あの夏を刻んで:戦争跡を歩く/7 館山 旧海軍航空隊・砲術学校・砲台 戦跡、細密画で再現 /千葉
東京湾の開口部に位置する館山市。古くは戦国大名里見氏の時代から軍事上の要衝として宿命づけられ、太平洋戦争時は浦賀水道を挟んで三浦半島と結ぶラインが首都防衛の「生命線」とされた。昭和天皇の「玉音放送」が流れた1945年8月15日当時、市とその周辺には陸海軍、憲兵など3万人近い将兵がおり、多数の砲台や網の目のような地下壕(ごう)、軍事施設が存在していた。…
情報元: 毎日新聞